仕事ができる人、できない人

仕事ができる人、できない人というのが世の中には存在すると一般的には考えられている。私も曲がりなりにも4年間近くアルバイトで社員レベルの働きをおこなってきた経験もあり、その中で2つの例をあげてみたいと思う。

1つめは、ある学生がフロントスタッフとしてアルバイト入社してきた。彼は物わかりは良いのだが、それが行動に伴わない。なのでいつまでたっても行動できない。また愛想がない。愛想がないせいか、しばしばクレームを貰うことがあり、極めつけにはクレームをつけられたお客様が「トップをよんでこい」といわれ呼んできて、そのお客様の前でいかにも不満がありそうに上司に状況説明をし始めた。それに対しお客様は非常に憤慨し、帰られてしまった。その他にも「ほうれんそう」と言われる報告、連絡、相談というものを一切せず、よく状況をややこしくしていた。

2つめは、ある女性がフィットネススタッフとして入社してきた。30を過ぎていたが、働きながら学生をやっていた。彼女に関してもどうようの事がいえ、報告がなく話をややこしくし、相談もしないから勝手にいろいろとやってしまっていた。その割には「自分はしっかりやっている」という自信に満ちあふれ、自分の非を認めようとしないのでこちらとしても少々付き合うのに疲れる相手であった。ある日、その人のシフトになってもその人がこなく、お客様を待たせてしまったことがあった。そこで私が電話をした所、「上司に休みますと報告しました」と一言だけ(入社時のルールで休む場合は自分で代行を探し、それを上司に報告するというルールだった。つまりこれは上司は「もうすでに代行をさがした上での報告」と勘違いしてしまっていた。まあ正直この上司もあまり使えなかったのだが、、、)。こっちがこんなに慌てているというのに、「私は全く悪くありません」という始末。「店のルールでは誰かに代行を頼んで上司に報告するというルールですが、誰かに代行を頼みましたか?」と聞くと、「そのルールは知っていますが、上司に言ったとき『大丈夫』と言われたので私は自分で代行を探す義務はもうないと思います。私には責任はありません」とまで言い出して、むかついたので「あー、、、わかりました。じゃあ自分が代わりに(その人がやるはずだった仕事を)やります」と言って電話をきった。後日会った時に、一言の謝罪もなかった時はさすがにどうしようもないな。。。と思ってしまった。
とまあ二人の例を挙げたのだが、その二人は実はその後どうなったかというと

前者はもともと東大法学部の学生であり、就職活動で辞めますといって辞めていった。私は実は結構仲良かったのでよく話していたのだが「まあ普通の企業にいければいいかなぁ」とか言いながら、どうでもよさそうだった。まあこいつのことだから、ちゃっかり良い企業に入るだろうなと思っていた。ひさしぶりに連絡貰ったら、官僚になっていた。


後者は、ロースクールの学生であった。彼女は英語と中国語は通訳レベルで堪能であり、またすでにアメリカの司法試験(アメリカではそういうの?)には既に合格していた。日本でも司法試験を受けて一発で合格。しかも順位は50番程度と、神レベルのトップクラスで合格した。司法試験に合格したので、退職していった。


とまあ、世間一般でいうとバリバリエリートな二人だったのだ。


私のアルバイト先は東京の中心というのもあり、様々な人たちが働いていた。学生や、フリーター、芸能人の卵などなど、そんな多様な環境で仕事をしてきた。
私のアルバイト先では言い伝えレベルのものがあり、「高学歴の学生は仕事ができない」と言われていた。極端に早慶の学生は取らないという時期すらあったという。そんな中で、私もそこそこ名の知れている大学の学生ということもあり、懐疑的な目の中最初は仕事した。私の場合、やる気が人一倍あり(単純に楽しかったから夢中になっただけなのだが)、トレーニングもよくやっていた(アルバイトする理由の半分は
レーニングできるからという不純な動機だった)ことから早くから認められ、最終的には様々なリーダーをやり、自身もさよならイベントをひらいてもらえるぐらいのイントラにまでなれた。
私の職場は大学をいってない人がほとんどだったので、大学生は仕事ができないという極端な偏見の中、私は幸運にもそこから外れたのだが、それ以降大学生が入ってきて仕事をさせてみるたび、「やっぱり学生はね。。。」という話がよくあがっていた。

こういう経験は誰に身に覚えがある問題であろう。東大生は仕事できないとか言われたりするという。私は受験もしている身から東大生には敬意を称している。あの受験戦争の最高の勝ち組になるまでは相当な努力、才能が必要であり、私には不可能だったからだ。そんな東大生がなぜ仕事できないと言われるかと考えたことはよくあったが、「どの母体にも一定割合で仕事ができない人なんているだろう」とぐらいしか考えてなかった。でも最近、よく思うのが「仕事ができる」とかそもそもどういう定義なのだろうか。と疑問に思う。仕事ができるということはつまり、その職場で求められているレベルより上の価値を出せる人であるということだが、なぜ私が4年間で出会った学生はそのレベルに達しなかったのか。

結論を言えば、学生だからということなんて全く関係なく、そもそも仕事ができるという基準自体が曖昧だからである。そして私のアルバイト先の問題点は「仕事ができる人は何ができるのか」つまりは仕事とは何かという点を曖昧になっていたと思う。たしかに与えれた仕事はある。それを教えられる。でも何をもってして「できる」「できない」の評価をするかという点が曖昧すぎるからである。
「仕事ができない人が多くてさー」といっている人がいたら聞いてみるといい。「具体的には何ができない?」と。すると答えはでてくるが、それが本人にはわかっていないケースが多い。

最初にあげた二人のケースの場合も、同様であった。仕事に関しての説明をして、それに関しての物覚えの悪さはあまり仕事ができる、できないの問題ではない。むしろ仕事ができないと思われていた一つとして「ほうれんそう」を徹底しろということは口酸っぱく言われていた内容ではないからだ。前者に対してはクレーム処理の仕方を教える必要もあったと思う。後者に関してはルールの徹底が必要だった。なので二人は仕事ができなかったわけではないのでは?と今なら思う。

加えて学生は確かに使い辛い人も多かったが、理由は単純だ。責任感がない場合が多いということに限る。逆に責任感がある学生だったら全く問題ない。それを含め、指導をしていない内は、学生だから。。。という理由で文句をいってはいけない。初めてのアルバイトという人が多い中、どうすればいいのかわからない場合もあるのだ。まあもちろん出来ている人間が多いが、やはり出来ていない人間は目立つ。


じゃあ本当の意味での「仕事ができない人」とはどんな人のことをさすのだろうか。この流れだと答えは簡単だが、「言った事ができない」人をさす。これは本当に辛いと思うし、なかなか大変だ。慣れの問題もあるが、たとえば1年言い続けて同じミスをする人間も存在する(もちろんそういう人間もいた)。ただ、上記のような変な感情はうけないだろう。
逆に仕事ができる人とは、「言った事に対し自分の価値を加え行動する」人だと私は思う。自分がいるから、何を提供できるのかということを意識している人間は強い。

私は後者であり続けたいと思うし、そのためにも自分の価値を模索していきたいと思う。



お詫び:かなりの日数をあけて書いているため、当初何が書きたかったか忘れてしまいました。そのため、文章も適当で、論理展開もよくわからず、結局何が言いたいかわからない文章になったことをお詫びしますw。まあ所々共感して下さいw。