ふと思い出した事

ふとした出来事で昔、スポーツクラブでアルバイトしていた頃の話を思い出しました。

入社して3ヶ月で私は研修生ではなくなったのですが、研修生がなくなった瞬間、店にあるオプションプログラムの全てを担当するようになりました。とにかくガードとプールだけのシフトが嫌だったし、オリエンテーションで自分が出来ないプログラムをおすすめするというところに不安を感じたのもあります。とにかく誰よりも早くいろいろマスターしたのです。結局これがやる気ととらえられ、その後レッスンなど社員の担当業務などを任されるきっかけにもなったのですが。。。

そのライセンスをとったにも関わらず、相変わらずシフトはガードやプールのみ。。。こんなはずではなかった!!と思い、その当時沢山指導を持っていた(それは大いなる勘違いだったのだが)人に冗談まじりで「もっと自分にも指導ふってくださいよー」と笑いながら言ってみた。すると、

「なんで何もできないあなたにやらせなきゃいけないの?」

と突っぱねられてしまった。意外とショック&怒りの感情がわき起こったが、「もっともだ」と思った。所詮、私は大学生でしかもバリバリ物理を専攻している学生だ。運動の知識など、高校3年間で毎週読んでいたTARZANやトレーニングに関する本をほんの2−3冊読んだだけの知識。たしかに今、ヘルニアのお客様を担当しても不安だし、そんな状態で任されることなんてあるわけないなと思った。そして次の日、身体解剖学の本と、パーソナルトレーニング界では一般的な有名資格の勉強本、そしてトレーニング指導士の教科書、IDストレッチの本を手に入れていた。

ああいわれたことの悔しさと、甘かった自分に対する憤りのような思いがあった。そこから勉強した。


腰、膝、肩甲骨、1つ1つに起こりうる諸問題など勉強し、自分のトレーニングからもいくつか答えを導きだし、それをお客様に実践する。他のスタッフに指導する。そういった繰り返しで、いつの間にか自分のお客様がつき、他のスタッフもトレーニングなら自分に聞いてくれるようになった。シフトからガードやプールなどが消えていった。


まあなんでこんなことを思い出したかというと、シフトの連絡ノートに「指導が自分に入らないので振ってください」というような内容が書いてあって、「なんだこいつは。。。」と思ってしまったからだ。でもそれに対して反論したくても主要メンバーの一人が「わたしからもよろしくおねがいします」と書いてあったから、もうつっこめることがなかった。今の自分がそんな厳しいこといっても仕方ないし、店を混乱するようなことをしたくないという思いが大きい。だからあえて言わなかった。でもそれはすごい甘い考えだということに誰も気がつかないのであろうか?




よく、「自分は周りから信頼されていない」とか「周りが頼ってくれない」とか、酷ければ「いじめられている」とかいろいろ言う人は意外と多い。

でも自分は、価値が備わればそんなことはないと思うし、そのために価値を付けなくてはいけない。だから勉強しなくてはいけないものだと思う。表面的なものではなくて、専門的に価値を付加させられないうちは上のように思うのはナンセンスなのではないだろうか。



昔はよく大人という言葉や一人前ということに憧れていた。憧れながら、自分が仕事をしている中で様々なレベルが低い「大人」に憤りを感じ、軽蔑していた。でも、今は自分は子供で半人前だということに気がついている。いつまでたっても半人前だろう。勉強を続けない限り。